2017年4月「クルミの木」集会の報告



2017年4月「クルミの木」集会の報告

4月25日(火)3回目の霞が関南病院のカフェで、集まりを持ちました。
入院中のメンバーが退院されるので、霞が関南病院では最後の集会となります。この日は、9名でお話にあった「イイ女」と「ワルイ女」などについての話題に花が咲きました。顔を出してくださった唯一の男性からは、貴重な男性の心の内を聞くことができ、もう一度、男・女の違い、そしてよい関係の築き方を考える時となりました。
そのお話とは、旧約聖書の箴言から「イイ女」と「ワルイ女」についてです。
イイ女=箴言31:10~31
「ワルイ女」箴言5章にあるように、遊女やみだらな女の甘い唇となめらかな言葉(3節)に惑わされると、その歩みは陰府(よみ)の道(5節)に歩みます。確かに悪い女はいるでしょうが、それについていく愚かな男の存在が浮き彫りにされています。だからでしょうか、愚かにならないために、我が子よ、と人生の先輩が、夫婦の性生活の大切さを忠告するのです。15-19節  また、愚かな男を生み出すのは、愚かな女の存在なのかもしれません。 遊女の言葉にのってしまう愚かさは、家での居場所を失い、敬われず、とげとげしい愚痴で傷つき、さみしい思いをしている男性にありがちなのです。
「イイ女」は、31:10-31にあるように、理想的な家庭を経済的にも、精神的にも支える妻の姿です。ここでは、現実離れした「できる女」が記されているようにも思えます。
その経済力、営業力、体力などもです。でも、「できる女」が陥りやすい危険性は、他人のできないところに対して厳しい姿勢をとりがちなことかもしれません。
結婚式の誓いで、夫には妻を愛するように、妻には、夫を敬い従うようにと聖書の教えを伝えますが。妻には、夫を敬い、従うことが難しく、反対に夫も妻を愛する事が難題なのだからでしょう。詳しくは、「愛されたい妻と、尊敬されたい夫」エマソン・エグリッチ
箴言ではできる女になれと言っているのではなく、30節にあるように
「あでやかさは偽りであり、美しさはつかのまである。しかし、主を恐れる女はほめたたえられる。」と、一番大切なことは、主を恐れることなのです。箴言の最初から一貫して神の前にへりくだり、その教えに聴くこと。悪いことは悪いと知り、自らがまず神の前に吟味されることを言われているのではないでしょうか。その神を神とする姿勢が、主を恐れる姿勢となり、人間関係を支える、謙遜さとなっていくのだと思います。
イイ女は、主を恐れる者であり、イイ男も、主を恐れる知恵を持っているものではないでしょうか。

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# by kateishukai | 2017-05-02 11:47 | Comments(0)

2017年3月「クルミの木」集会 4月4日 お花見 の報告



2017年3月「クルミの木」集会の報告

3月28日(火)2回目の霞が関南病院のカフェで、集まりを持ちました。
入院中のSさんの笑顔に励まされて、9名が集いました。
新婚さんのMさんも来られて、病院の素敵なこと、集まる皆さんとの会話に花が咲きました。
今回は、西岡牧師からマタイによる福音書8章23-27節の「嵐の中であきらかになる」とのお話を聞きました。


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2017年4月4日 お花見
桜が5分咲きの鶴ヶ島運動公園の太田ヶ谷沼の桜を8名で見に行きました。
でも、その前に寄ったブルーベリーさんでの、自然味あふれる、健康的なランチにみなさんご満悦。新婚さんのMさんへ、旧婚さんたちからの、知恵に満ちた?アドバイスに花が咲いていました。
みなさん、おなかも気持ちも満腹で、太田ヶ谷の桜はもういいかな?と帰ろうとしたぐらいです。 でも、Mさん差し入れのクッキーに誘われて、桜の木の下で、紅茶のクッキーを食べようということになり。2次会のリアルお花見となったのです。
 食べてばかりのような、お花見でしたが、「人は食い飲みし、その労苦によって得たもので心を楽しませるより良い事はない。これもまた、神の手から出ることを、わたしは見た。」と聖書(伝2:24)にありますから!  しかし、こころのご飯(聖書のお話)もしっかりいただきました!
こちらのメニューは、「時」についてでした。
この1週間のいのちの美しくも空しい桜の花にピッタリな聖書のことばは、「天が下のすべてのことには季節があり、すべてのわざには時がある」伝道の書3:1-2です。
 「生まるるに時があり、死ぬるに時があり
植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり…」
 地球が規則正しく回っているように、毎年季節が巡りゆきます。イスラエルの偉大なる王ソロモンの書いた「伝道の書」では、この「時」は、神が導いているもので、大自然の季節も、人生のいのちの時も、偶然ではなく、神の手の中にあり、「神なさることは皆その時にかなって美しい」11節と言われています。また、「時」には2つの特質があると思われます。
時は、偶然の連続ではなく、何かにより導かれている
毎年この時期に桜が咲くのは偶然でしょうか? 人生も偶然の連続でしょうか? それとも何かの見えない糸があり、運命ともいわれる目的を持った導きによるのでしょうか。すべてのことに時があると。神のなさること。それは、その時折にあっていて美しいと。人生には流れが、導かれる神の手があるのではないでしょうか。しかも、一人一人の人生にあり、それは神の目からも、わたしたちの目にも美しいものであると。時を導く大きな神の手を思うと、安心と喜びを感じます。生まれる時もそうですし、死を迎える時にもその手があるのです。
時は、限られたものです。一秒一秒刻む時は、容赦なく過ぎ去り、人生の「限り」を突きつける厳しいものでもあります。散りゆく桜を思う、侘しさにその思いは通じるのではないでしょうか。もちろん、時が過ぎて、「忘れる」ことの癒しもあります。しかし、「生」と「死」の厳粛な瞬間には、時に対して無力な自らに直面し、人生には終わりがくるものであることを受け止めざるをえません。
 知恵も地位も財産も女も有り余るほど持ったソロモンが、人生は空しいと言います。空しいから、与えられている日をあなたの家族(妻)と共に喜び楽しめと。そして、何の楽しみもなくなる前に、(若いうちに) あなたを造ってくださった神を知りなさい。
人生は空しいから、永遠を思う心が人には与えられているのであると、記すのです。
時の空しさから、肉体の限界から、苦しみから、解放される永遠の世界があると書かれています。

桜を見て、今年はみなさんは何を思われるでしょうか?
皆様の人生の「時」が、喜びと、平安と、そして永遠の希望になりますように祈っております。


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# by kateishukai | 2017-05-02 11:46 | Comments(0)

2月21日 くるみの木集会報告

2017221日、霞が関南病院でもたれました。この病院は、クルミの木集会の発起人の一人、S姉が脳梗塞後リハビリ入院をされているところです。そのS姉も、半年ぶりぐらいに車いすながら笑顔で参加されました。S姉とお話ししたく、11名の参加者が集ってきました。S姉の笑顔と、前向きな姿勢から、どんな時も希望を持つ事が大事だと教えられた一日でした。   E姉の感想より

 

さて、聖書の格言、箴言の中から「苦しみの意味」とのお話しが、西岡まり子副牧師からありました。

箴言3章の「知恵の6つの条件」の6番目です。31112

「主の懲らしめを軽んじてはならない、その戒めを嫌ってはならない。

主は、愛するものを、戒められるからである。

あたかも父がその愛する子を戒めるように」

聖書の書かれたユダヤでは、

「懲らしめ」は元来「父親が子どもを訓練する」と言う意味を持つことばで、「矯正」と「懲罰」野二つの概念があるようです。

矯正は、歯や、姿勢、筋肉トレーニング、しつけもそうです。愛のむちのような痛みが伴い修正がおこなわれます。痛みが伴うものを人は嫌いますが、愛する子を戒めるように父が訓練すると言われています。へブル12:5-12

父なる神は愛するものを「訓練」するとありますが、訓練と言い切れないような艱難が人生を襲うことがあります。その苦しみにどのような意味があるのだろうかと人は悩み問います。

9歳で33歳の父を突然失い、乳飲み子と4人の男の子を抱えた母を支え生きてきた豊田氏。父は、神学校を卒業しこれから、神様の為に働くと願っていた時に、しかも、山にこもり徹夜祈祷をしていたその夜に天に召されていった。どうして、神は父をとられたのだろうか、父を守ってくださらなかったのだろうかとの問いに苦悩します。神への怒りが弟たちに向けられ、暴力となり、弟はいつか兄を殺してやろうと思いをひそめていたと後日告白するのです。 彼は悩みの中、聖書の父親たちに、父なる神ご自身に問うていくのです。彼が見出した苦しみの意味とは、

「神がともにいてくださる、神の摂理に導かれる人生とは、豊かな実を結ぶ人生となる。なぜなら、すべての苦しみが生みの苦しみに変えられるからである。…一粒の涙も無駄に流されることはない。」P209でした。「父となる旅路」豊田信行 いのちのことば社

平安の義の実を結ばせる生みの苦しみなのだと。その実は、その本人にも、周囲にも甘く、苦く、でも、とてつもなくおいしい、不思議な味がすることでしょう。



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# by kateishukai | 2017-03-02 04:55 | Comments(0)

2017年 1月「くるみの木集会」報告

2017年初めてのくるみの木での集まりは、1月17日 にいつものようにおいしいケーキ(今回はチーズケーキ)をいただきながら、持たれました。

寒い中ですが、晴れた日で、6名が集まりました。11月に入院のお知らせをしたS姉は、現在も入院されておられ、リハビリに打ち込まれています。

一緒に集える日もそう遠くはないかもしれません。来春の楽しみがまた一つ増えましたね。 待ち望む喜びでしょうか。


さて、聖書の格言、箴言の中から「お金持ちになる条件」と、富についてのお話しが、西岡まり子副牧師からありました。

1、 箴言3章の「知恵の6つの条件」の5番目です。3章9,10節
「あなたの財産とすべての産物の初なりをもって主をあがめよ。そうすれば、あなたの倉は満ちてあまり、あなたの酒ぶねは新しい酒であふれる」

今日の箇所は、お金持ちになる条件が書かれています。


「収穫の初物で主をあがめる」ならば倉は満ちるとあるのです。
収穫の初物、今で言う「初任給」皆さんはどうしましたか?
   親、貯金、自分へのご褒美、飲んじゃったなどの答えがあるのではと思います。初めて、自らの労働への賞与を与えられ、与えられた物に対して神の恵みに感謝しあがめるならば・・・神はさらに祝福を増してくださるとのことなのです。富は神からの恵み、なのですが…。



イエスさえも、悪魔に富を持って誘惑されたように、富を持つと人格が変わる人もいるのです。そこには、富の限界と危険性があるのではないでしょうか。箴言の他の箇所で記されています。
「お金さえあれば」「地獄の沙汰も金次第」?の間違い

限界1、なくなるもの…  頼りにできない
「自分の富を頼む者は衰える、正しい者は木の若葉のように栄える。」箴言11:28
「富はいつまでも続くものではない、どうして位が末代まで保つであろうか」27:24 

限界2、肝心なところは使えない 
「宝は怒りの日に益なく、正義は人を救い出して、死を免れさせる」11:4
 閻魔大王の前でも、創造主の前でもお金では今までの生き方をごまかせないし、永遠の行先を買収できないのです。

危険性1、おごる 力を得たと錯覚する 権力、
「富める人は自分の目に自らを知恵ある者と見る、しかし悟りのある貧しいものは彼をみやぶる」28:11  どうして悟りのある貧しいものと言われるのでしょうか。富んでいるものには見えないものがあるのでしょうか?
「偽りの舌をもって宝を得るのは吹きはらわれる煙、死の罠である。」21:6

危険性2、貪欲 満たされることがなくなる、もっと欲しくなる
「よくの深い人は急いで富を得ようとする。かえって欠乏が自分のところに来ることを知らない。」28:22
「急いで得た富は減る、少しずつ蓄える(働いて集める)ものはそれを増すことができる。」13:11  証券会社で働かれている人が、先日、「もうかった人は変わる、もっと、もっとと人が変わったように、貪欲に恐れを知らなくなる。」と言われていました。欲望を刺激する消費社会、成功崇拝の風潮の中で、いただいたものを感謝して、満足する喜びを見落としてしまう時、たとえ財産が富んでも、満たされないむなしさに心が埋め尽くされることでしょう。


お金の使い方
「利息と高利とによってその富を増す者は、貧しいものを恵む者のために、それを蓄える」28:8
「善良な人はその嗣業を子孫に残す、しかし罪びとの富は、正しい人のためにたくわえられる」13:22

神様のお金の使い方は、上記の箴言のようです。富は、貧しい者(寄る辺なき者)へ、恵みとして与えられるためにあるのかもしれませんね。世界で最も裕福な8人が保有する資産は、世界人口のうち経済的に恵まれない下から半分にあたる約36億人が保有する資産とほぼ同じとの発表がありましたが、富むものには、そのお金をどのように使うのかとの大きな責任もあるのではないでしょうか? 

初なりを持って神をあがめる謙虚さを持つものとさせていただきたいと思います。




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# by kateishukai | 2017-01-24 07:54 | Comments(0)

11月くるみの木集会報告

11月22日(火)「くるみの木」集会の主催で紅葉がりに行き、5人の方が名栗湖や素敵なレストランでの昼食、そして能仁寺の紅葉を楽しみました。
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# by kateishukai | 2017-01-01 13:33 | Comments(0)