7月くるみの木集会報告
くるみの木家庭集会は、定例では、第三火曜日なのでしすが、今月は、箱根聖会と重なったため、第二火曜日7月12日に開きました。場所がいつもの二階の部屋でなく一階の部屋でしたが、貸し切りで使わせていただくことができました。そして、一階だったので、たまたまくるみの木に来られたS兄も飛び入りで参加することができ、神様に感謝しました。学院が、夏休みに入ったので、牧師先生もご夫妻で出席してくださり、10人でみ言葉を学び、味わう時が与えられました。
始めのお祈りの後、233番「驚くばかりの」を賛美しました。
今回は牧師先生のメッセージです。聖書箇所は、コリント人への第一の手紙13章1節~8節です。題して「14色の愛」。
この箇所は、愛の章として有名です。前半の箇所は、「もし愛がなければ」について語られています。どんなに素晴らしい言葉も、信仰すらも、さらには慈善行為も、愛がなければ無に等しいと伝えています。驚くことに、聖書は、信仰よりも愛が大切なのだと明確に主張しているのです。実際に、最後まで残るものは、信仰と希望と愛であると伝えています。しかもそれらの中で、最も大いなるものが「愛」なのだと、13節は述べています。愛を失った信仰は、無に等しい(2節)とまでいう、その愛とは何なのでしょうか。
4節以下をみると描かれています。光をプリズムにかけると7色にわかれますが、愛を人間と言うプリズムにかけると14色の綺麗な光に分かれるかのようです。その一つ一つは実に見事なものです。愛は・・・・
①寛容であり、
②愛は情け深い。
③ねたむことをしない。
④愛は高ぶらない、
⑤誇らない、
⑥不作法をしない、
⑦自分の利益を求めない、
⑧いらだたない、
⑨恨みをいだかない。
⑩不義を喜ばないで真理を喜ぶ、そして・・・
⑪すべてを忍び
⑫すべてを信じ
⑬すべてを望み
⑭すべてを耐える
最初の色、「寛容」は、人間関係においては、「すぐに判断しないこと」、「決め付けないこと」とあるとある書物で読みました。私たちは、見かけや、服装などで、人を判断したりします。私たちは、最初の色で、つまずいてしまうかもしれません。実際に、5節以下の愛の部分に自分の名前を入れて読み続けることが出来るでしょうか?きっと読み続けられなくなることでしょう。
そうです、私たちには本当の意味での愛が内側にあるとは言えないのです。それにも関わらず、自分でこれらのリストを懸命に頑張ろうとすることがあります。努力は尊い事ですが、7色をクレパスに塗ったとしても、そこから光が出ては来ないように、14色を自分の力で塗ったとしても、そこから愛が出てくるわけではありません。愛がなければこうした色は出てこないのです。
聖書には、「愛は神から出たものなのである」(1ヨハネ4:7)とあります。私たちは器として、それを受け取ること、プリズムとしてそれを受け取ることが大切なのです。私たちにとって大切なものは、自分で作り出していません。命も、感謝も、愛もです。私たちは、生きているのではなく、生かされているのです。愛することからではなく、愛を受けることから始まるのです。
愛をもって人々に仕えたマザーテレサは、毎朝神に祈りをささげて一日を始められました。まして私たちは、まず自分には愛がないことを認め、神に祈って、愛の源なる方からの愛を受けて生きる時、そこから何かが始まるのだと信じています。
メッセージの後、先生のお祈り、そして、172番「望みも消えゆくまでに」を賛美し、神様の愛で数えきれない「めぐみ」をいただいている日々であることを感謝しました。
季節の歌は「夏の思い出」、実際に見て来られた方が、「今頃の尾瀬の水芭蕉は、本当に見事でした。」と思い出を語ってくださいました。
ティータイムでは、牧師先生が「この一ヶ月の間に感謝したことがあれば・・・」ときっかけを作ってくださったので、息子さんの大きな手術の前にご両親、息子さんご夫婦がいっしょに、本当に真剣に祈ることができ、今では息子さんも順調に快方に向かっておられるというお話があり、又、交通事故を起こされた方が、いくつもの感謝に恵まれ、無事に自宅に着かれ、思わず膝まずいて神様に心からの感謝のお祈りをされたことなど話され、聞く人たちも共に感謝したことでした。
又、仏教とキリスト教の違いから、葬儀についての話題など・・・家庭集会だからこそのお話が次々と出てきて、充実した午後のひと時となりました。
来月は第三週が16日なので、8月も第二週目の火曜日9日13:30~くるみの木一階で開くことになりました。
by kateishukai | 2016-07-16 22:10