2017年3月「クルミの木」集会 4月4日 お花見 の報告



2017年3月「クルミの木」集会の報告

3月28日(火)2回目の霞が関南病院のカフェで、集まりを持ちました。
入院中のSさんの笑顔に励まされて、9名が集いました。
新婚さんのMさんも来られて、病院の素敵なこと、集まる皆さんとの会話に花が咲きました。
今回は、西岡牧師からマタイによる福音書8章23-27節の「嵐の中であきらかになる」とのお話を聞きました。


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2017年4月4日 お花見
桜が5分咲きの鶴ヶ島運動公園の太田ヶ谷沼の桜を8名で見に行きました。
でも、その前に寄ったブルーベリーさんでの、自然味あふれる、健康的なランチにみなさんご満悦。新婚さんのMさんへ、旧婚さんたちからの、知恵に満ちた?アドバイスに花が咲いていました。
みなさん、おなかも気持ちも満腹で、太田ヶ谷の桜はもういいかな?と帰ろうとしたぐらいです。 でも、Mさん差し入れのクッキーに誘われて、桜の木の下で、紅茶のクッキーを食べようということになり。2次会のリアルお花見となったのです。
 食べてばかりのような、お花見でしたが、「人は食い飲みし、その労苦によって得たもので心を楽しませるより良い事はない。これもまた、神の手から出ることを、わたしは見た。」と聖書(伝2:24)にありますから!  しかし、こころのご飯(聖書のお話)もしっかりいただきました!
こちらのメニューは、「時」についてでした。
この1週間のいのちの美しくも空しい桜の花にピッタリな聖書のことばは、「天が下のすべてのことには季節があり、すべてのわざには時がある」伝道の書3:1-2です。
 「生まるるに時があり、死ぬるに時があり
植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり…」
 地球が規則正しく回っているように、毎年季節が巡りゆきます。イスラエルの偉大なる王ソロモンの書いた「伝道の書」では、この「時」は、神が導いているもので、大自然の季節も、人生のいのちの時も、偶然ではなく、神の手の中にあり、「神なさることは皆その時にかなって美しい」11節と言われています。また、「時」には2つの特質があると思われます。
時は、偶然の連続ではなく、何かにより導かれている
毎年この時期に桜が咲くのは偶然でしょうか? 人生も偶然の連続でしょうか? それとも何かの見えない糸があり、運命ともいわれる目的を持った導きによるのでしょうか。すべてのことに時があると。神のなさること。それは、その時折にあっていて美しいと。人生には流れが、導かれる神の手があるのではないでしょうか。しかも、一人一人の人生にあり、それは神の目からも、わたしたちの目にも美しいものであると。時を導く大きな神の手を思うと、安心と喜びを感じます。生まれる時もそうですし、死を迎える時にもその手があるのです。
時は、限られたものです。一秒一秒刻む時は、容赦なく過ぎ去り、人生の「限り」を突きつける厳しいものでもあります。散りゆく桜を思う、侘しさにその思いは通じるのではないでしょうか。もちろん、時が過ぎて、「忘れる」ことの癒しもあります。しかし、「生」と「死」の厳粛な瞬間には、時に対して無力な自らに直面し、人生には終わりがくるものであることを受け止めざるをえません。
 知恵も地位も財産も女も有り余るほど持ったソロモンが、人生は空しいと言います。空しいから、与えられている日をあなたの家族(妻)と共に喜び楽しめと。そして、何の楽しみもなくなる前に、(若いうちに) あなたを造ってくださった神を知りなさい。
人生は空しいから、永遠を思う心が人には与えられているのであると、記すのです。
時の空しさから、肉体の限界から、苦しみから、解放される永遠の世界があると書かれています。

桜を見て、今年はみなさんは何を思われるでしょうか?
皆様の人生の「時」が、喜びと、平安と、そして永遠の希望になりますように祈っております。


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by kateishukai | 2017-05-02 11:46