11月のクルミの木集会 紅葉盛りの平林寺

11月のクルミの木集会は、

28日に、11名で紅葉盛りの平林寺に出かけてきました。

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都内からも鳩バスが何台も来るぐらいの見事な紅、黄、赤、緑、竹林の青緑が、点在し、ため息が出るような色彩に心癒されました。

でも、参加者は、花より団子と言って、帰りに食べた昼食のお味にご満悦。

 帰り道、Sさんのところに皆でお邪魔しました。お互い元気そうな顔を見て、さらにニコニコ顔になり、帰路につきました。

 

 12月は教会のクリスマス会に合流します。次回は新年になります。

この心温まる季節に、たくさんの喜びがありますことお祈りしております。



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# by kateishukai | 2017-12-02 07:58

10月17日 クルミの木集会

2017年10月のクルミの木集会は、Mさんの入院先の霞が関南病院で10人が集い、聖書の箴言から「争いについて」学びました。争いの絶えない現状に、ため息交じりの会話が飛び交い、もう一度戦争になった…時のことも少し考えました。
 それにしても、南病院はバリアフリーで、食堂も充実しているので、次回は昼食もいただきながら、軽く語り合う予定にしています。
 また、紅葉ツアーを企画しています!

争いについて
「あなたに悪い仕打ちをしていないのなら、理由もなく、人と争うな、3:30 新改訳」
「邪魔」の一言から、死に至る争いに発展する昨今。
1、争いの元は、
・「憎しみは争いを起し、愛はすべての咎をおおう」10:12
・「憤りやすい者は争いをおこし、怒りをおそくする者は争いをとどめる」15:18
・「偽る者は争いを起し、告げ口(陰口)するものは親しい友を離れさせる」16:28   
・「あざける者を追い出せ。そうすれば、争いも出て行く。けんかも悪口もやむ」22:10
・「争いを好むものは罪を好む。その門を高くする者は滅びを求める」17:19
罪とは、自分を絶対者の座におく、自己中心の姿です。帝国主義時代、占領国は
アジアの国々を野蛮な国とし、支配してもよいとの国際法を造りました。おのれを高くし、利益を追求する心。怒り・憎しみなどの感情をコントロールできない人の限界・弱さが、争いの元を生み出していくのでしょう。そうだとしたら、争いの無い人はいないのではないでしょうか。
2、争いを超越した人
敵に井戸を何度奪われても、譲り、争わない「柔和な人」と言われたアブラハムの息子のイサクが聖書に書かれています。新約聖書でイエスは、
「柔和な人たちは、さいわいである。彼らは地を受け継ぐであろう」マタイ5:5、そして「平和を作り出す人たちは、さいわいである。彼らは神の子と呼ばれるであろう」5:9と言われ、自らが無実の罪で訴えられた時、争わず、裏切った弟子や群衆への恨み、冤罪を作り上げた宗教家たちへの憎しみ・怒りでもなく「父よ彼らをおゆるし下さい、彼らは何をしているのかわからずにいるのです」と祈られたのです。そのイエスの敵さえも愛していく心に触れる時、私達も同じように変えられるのではないでしょうか。
「憎しみは争いを起こし、愛はすべてのとがをおおう。」10:12
平和は世界大のことです。と同時に、自分の心、家族の中に一番大きな力を発します。心に平和を持つことができるのです。

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# by kateishukai | 2017-10-29 08:29

2017年9月 クルミの木集会報告

2017年9月 クルミの木集会報告
8月はお休みして、9月19日の秋の声を聴く頃、メンバーのMさんが入院されている霞が関南病院で、以前入院されていたSさんも一緒に、10人のメンバーで箴言から「友」について語り合いました。

友とは?   箴言より
人は友を求めている。
人間は、社会的存在です。神に造られたときにも、「一人ではよくない」と言われエバが造られたように。2人、3人になっていく時に、良い・豊かな・幸いな人生となっていくのです。夫婦・家族・友人を心から欲しています。
でも人間関係は一番の悩みのタネにもなります。友達についての箴言の知恵は、苦しみの時に、本当の友達かわかるとも示しています。
「友はいずれの時にも愛する。
兄弟は悩みの時のために生まれる」「苦しみを分かち合うために」(新改訳)17:17
「あなたの友、あなたの父の友を捨てるな、
あなたが悩みにあう日には兄弟の家に行くな 
近い隣人は、遠くにいる兄弟に勝る」27:10 「遠くの親戚より、近くの他人」と同じように、 悩みを共有する地域での友情も、人生を豊かにします。災害の後の協力がどんなに励ましに、慰めになることでしょう。

でも、人間関係が難しいと言う理由は、いろんな友達の存在にあるかもしれません。
どんな友がいるのでしょうか?

見せかけの友
●「世には友らしい見せかけの友もある、しかし兄弟よりもたのもしい友もある」18:24  見せかけの友が、いじめの時に裏切るのです。自分を守るのが精一杯なのかもしれませんが、相手の為に自分を危険にさらすことができない人間の心の小ささなのでしょう。

②自分の利益の為の友
●「富は多くの新しい友を作る、しかし貧しい人はその友に捨てられる」19:4  参考 19:6-7 お金で集まって来る友。 自分の利益になる友。それが自己中心の人間の心なのです。 

③磨き合う友
●『鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる』新改27:17
 実は、友から学ぶことは大きく、本当のことを言ってくれる友を持っているのは人生の宝です。 でも、それは磨がれることで痛みも伴うことでしょう。ぶつかり合う中で悩み、学んでいくことの大切さがしめされています。めんどくさいことでしょうが、勇気をいただき踏み出せたらいいですね。

新約聖書では、
「わたしはもう、あなたかたを僕とはよばない、…友とよんだ」ヨハネ15:15と神であるイエスが言われ、友となってくださいました。そして、
「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」ヨハネ15:13- と友の在り方を、ご自分の人生を通して示してくださり、
「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」
と、自己中心からの脱却を、「愛する」ということを教えてくださったのです。
私達は、「愛される」ことばかりを求めがちですが、本当の幸せは「愛する」ことができる中にあるのではないでしょうか?

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# by kateishukai | 2017-09-23 08:19

2017年4月「クルミの木」集会の報告



2017年4月「クルミの木」集会の報告

4月25日(火)3回目の霞が関南病院のカフェで、集まりを持ちました。
入院中のメンバーが退院されるので、霞が関南病院では最後の集会となります。この日は、9名でお話にあった「イイ女」と「ワルイ女」などについての話題に花が咲きました。顔を出してくださった唯一の男性からは、貴重な男性の心の内を聞くことができ、もう一度、男・女の違い、そしてよい関係の築き方を考える時となりました。
そのお話とは、旧約聖書の箴言から「イイ女」と「ワルイ女」についてです。
イイ女=箴言31:10~31
「ワルイ女」箴言5章にあるように、遊女やみだらな女の甘い唇となめらかな言葉(3節)に惑わされると、その歩みは陰府(よみ)の道(5節)に歩みます。確かに悪い女はいるでしょうが、それについていく愚かな男の存在が浮き彫りにされています。だからでしょうか、愚かにならないために、我が子よ、と人生の先輩が、夫婦の性生活の大切さを忠告するのです。15-19節  また、愚かな男を生み出すのは、愚かな女の存在なのかもしれません。 遊女の言葉にのってしまう愚かさは、家での居場所を失い、敬われず、とげとげしい愚痴で傷つき、さみしい思いをしている男性にありがちなのです。
「イイ女」は、31:10-31にあるように、理想的な家庭を経済的にも、精神的にも支える妻の姿です。ここでは、現実離れした「できる女」が記されているようにも思えます。
その経済力、営業力、体力などもです。でも、「できる女」が陥りやすい危険性は、他人のできないところに対して厳しい姿勢をとりがちなことかもしれません。
結婚式の誓いで、夫には妻を愛するように、妻には、夫を敬い従うようにと聖書の教えを伝えますが。妻には、夫を敬い、従うことが難しく、反対に夫も妻を愛する事が難題なのだからでしょう。詳しくは、「愛されたい妻と、尊敬されたい夫」エマソン・エグリッチ
箴言ではできる女になれと言っているのではなく、30節にあるように
「あでやかさは偽りであり、美しさはつかのまである。しかし、主を恐れる女はほめたたえられる。」と、一番大切なことは、主を恐れることなのです。箴言の最初から一貫して神の前にへりくだり、その教えに聴くこと。悪いことは悪いと知り、自らがまず神の前に吟味されることを言われているのではないでしょうか。その神を神とする姿勢が、主を恐れる姿勢となり、人間関係を支える、謙遜さとなっていくのだと思います。
イイ女は、主を恐れる者であり、イイ男も、主を恐れる知恵を持っているものではないでしょうか。

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# by kateishukai | 2017-05-02 11:47

2017年3月「クルミの木」集会 4月4日 お花見 の報告



2017年3月「クルミの木」集会の報告

3月28日(火)2回目の霞が関南病院のカフェで、集まりを持ちました。
入院中のSさんの笑顔に励まされて、9名が集いました。
新婚さんのMさんも来られて、病院の素敵なこと、集まる皆さんとの会話に花が咲きました。
今回は、西岡牧師からマタイによる福音書8章23-27節の「嵐の中であきらかになる」とのお話を聞きました。


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2017年4月4日 お花見
桜が5分咲きの鶴ヶ島運動公園の太田ヶ谷沼の桜を8名で見に行きました。
でも、その前に寄ったブルーベリーさんでの、自然味あふれる、健康的なランチにみなさんご満悦。新婚さんのMさんへ、旧婚さんたちからの、知恵に満ちた?アドバイスに花が咲いていました。
みなさん、おなかも気持ちも満腹で、太田ヶ谷の桜はもういいかな?と帰ろうとしたぐらいです。 でも、Mさん差し入れのクッキーに誘われて、桜の木の下で、紅茶のクッキーを食べようということになり。2次会のリアルお花見となったのです。
 食べてばかりのような、お花見でしたが、「人は食い飲みし、その労苦によって得たもので心を楽しませるより良い事はない。これもまた、神の手から出ることを、わたしは見た。」と聖書(伝2:24)にありますから!  しかし、こころのご飯(聖書のお話)もしっかりいただきました!
こちらのメニューは、「時」についてでした。
この1週間のいのちの美しくも空しい桜の花にピッタリな聖書のことばは、「天が下のすべてのことには季節があり、すべてのわざには時がある」伝道の書3:1-2です。
 「生まるるに時があり、死ぬるに時があり
植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり…」
 地球が規則正しく回っているように、毎年季節が巡りゆきます。イスラエルの偉大なる王ソロモンの書いた「伝道の書」では、この「時」は、神が導いているもので、大自然の季節も、人生のいのちの時も、偶然ではなく、神の手の中にあり、「神なさることは皆その時にかなって美しい」11節と言われています。また、「時」には2つの特質があると思われます。
時は、偶然の連続ではなく、何かにより導かれている
毎年この時期に桜が咲くのは偶然でしょうか? 人生も偶然の連続でしょうか? それとも何かの見えない糸があり、運命ともいわれる目的を持った導きによるのでしょうか。すべてのことに時があると。神のなさること。それは、その時折にあっていて美しいと。人生には流れが、導かれる神の手があるのではないでしょうか。しかも、一人一人の人生にあり、それは神の目からも、わたしたちの目にも美しいものであると。時を導く大きな神の手を思うと、安心と喜びを感じます。生まれる時もそうですし、死を迎える時にもその手があるのです。
時は、限られたものです。一秒一秒刻む時は、容赦なく過ぎ去り、人生の「限り」を突きつける厳しいものでもあります。散りゆく桜を思う、侘しさにその思いは通じるのではないでしょうか。もちろん、時が過ぎて、「忘れる」ことの癒しもあります。しかし、「生」と「死」の厳粛な瞬間には、時に対して無力な自らに直面し、人生には終わりがくるものであることを受け止めざるをえません。
 知恵も地位も財産も女も有り余るほど持ったソロモンが、人生は空しいと言います。空しいから、与えられている日をあなたの家族(妻)と共に喜び楽しめと。そして、何の楽しみもなくなる前に、(若いうちに) あなたを造ってくださった神を知りなさい。
人生は空しいから、永遠を思う心が人には与えられているのであると、記すのです。
時の空しさから、肉体の限界から、苦しみから、解放される永遠の世界があると書かれています。

桜を見て、今年はみなさんは何を思われるでしょうか?
皆様の人生の「時」が、喜びと、平安と、そして永遠の希望になりますように祈っております。


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# by kateishukai | 2017-05-02 11:46