<   2016年 01月 ( 1 )   > この月の画像一覧

2016年1月の家庭集会の報告

2016年1月の家庭集会の報告
「佐藤宅家庭集会」 → 「くるみの木集会」
毎月第3火曜日10:30~開いていた家庭集会ですが、都合で会場が変更になりました。新しい会場を祈り求めていたところ、佐藤宅のすぐ近くに新しい会場が与えられました。大きな池のある公園のほとりにある「くるみの木」というカフェの2階を貸し切りで使わせていただけることになりました。大きな窓の障子を開けると桜の大木が見え、春には、お花見も楽しめるすばらしい立地です。時間は、「10:30~」 → 「13:30~」に変更になりました。午後なら参加できるという方がおられ、来月から来られるそうです。「クルミの木集会」第一回の2016年1月の集会は、出席者は、まり子先生を中心に5名でした。開会の祈り、続いて、新聖歌209番「慈しみ深き」を賛美しました。
 先生のお話は、前回に続いて「箴言」です。10月の集会でも話されたように、「主を恐れることは知識の始めである。」(1:7)の聖句が、箴言の本質を表している。このみ言葉の「主を恐れる」というのは、「神様を敬う」という意味で、神様の存在を信じることが、人間としての知識の第一歩であるとソロモン王は、その当時の人たちだけでなく、今、生きている私たちにも告げている。
 「わが子よ、あなたは父の教訓を聞き、母の教えを捨ててはならない。」(1:8)この聖句から、それぞれの父のイメージ、母のイメージを話し合い、ひととき子供時代に返り、「父は自制心があり、指示するが最後の砦」「母は、優しく、安全な道を教え、行けば安全という道を示すが、ともすると過干渉になってしまう。父は、働く人として自然体で子供に教え、母はゆったりとした温かさで子供に教えてきたのが自分たちの親の代であったが、現代の親子関係は、どうなっているか?いろいろ厳しい状況が見られる。聖書の父とは、天の父のことであり、「父と母があなたを捨てても私はあなたを捨てない」これがその天の父の愛である。「たとい父母がわたしを捨てても、主がわたしを迎えられるでしょう。」(詩編27:10)
「わが子よ、あなたは父の教訓を聞き、母の教えを捨ててはならない。」(1:8)この聖句の父の教訓、母の教えは、神を神として敬い、自分の罪に気づくことである。この罪とは法律的な罪でなく「自己中心」の罪である。この自己中心の罪に気づくと人を「許す」ことができるようになる。
「主を恐れることは知識の始めである。」(1:7)
ソロモンが現代の私たちにも告げているこのみ言葉を味わいました。
まり子先生のお祈りの後、新聖歌325番「歌いつつ歩まん」を賛美しました。恒例の季節の歌は、雪景色を見ながら「雪」「雪やこんこ 霰やこんこ」と元気に歌って集会を閉じました。その後は、ケーキとコーヒーでおしゃべりを楽しみました。次回は2月16日(火)13:30~くるみの木の2階です。
[PR]

by kateishukai | 2016-01-27 22:28