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クルミの木集会の名前を変更します! 『霞が関集会』です。5月15日の「霞が関集会」

クルミの木集会の名前を変更します! 『霞が関集会』です。
よろしくお願いします!!

5月15日の「霞が関集会」は、
霞が関南病院のカフェで7名が集まり、かなり本音のお話が飛び交う、ひと時が持たれました。
今回から、新約聖書のイエスキリストの生涯をたどりながら、聖書の有名なストーリ―を追い、いろんな事を話し合っていきたいと思います。
まず、初回は、イエスキリストの洗礼式。マタイ3:1~17

バプテスマ(洗礼)って何?  マルコ1:1-11、ルカ3:21-22
キリスト教の信仰告白の儀式であり、水の中で罪の自分に死に、キリストの命に新しく生かされることの象徴です。
清く、新しくなりたいと言う願いは、変わらなければならないという罪びととしての自覚から生まれるもの。だから、バプテスマを受ける人は、「悔い改めよ。天国は近づいた」とのバプテスマのヨハネのメッセージに応答して、悔い改める人なのです。
 ここで、変わるためには、自らの間違い、失敗、自己中心性、神の恵みをないがしろにしてきたことに気が付き、神の前に悔い改めることが、出発点となります。
でも、わたしたちは、自らの過ちよりも、他人、家族、伴侶の過ち、嫌なところに目が行き、責める思いの方が先行してしまいます。(ここでは話に花が咲きました、そうだそうだ!と)でも、その状態では、新しくなれないですね。
どうしてイエス様が受けたの?
イエスが神の子ならば、罪を犯してないから、悔い改めである洗礼を受ける必要もないのでは? 洗礼を授けていたヨハネもそのように問うたのです。マタイ3:14
でもイエスは、「今は受けさせてもらいたい。このように、すべての正しいことを成就するのは、われわれにふさわしいこと」と言われます。それは、旧約聖書イザヤ53:12「とがある者と共に数えられた」等の預言が成就するためなのです。預言では、神は「我々のすべての者の不義を彼の上におかれ」8節「多くの人の罪を負い、とがある者のためにとりなしを」するといわれます。12節。人間の罪を解決するために、イエスが神の子という枠を乗り越えて、近づいてきてくださったのです。
天から声が言ったように、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。神様自身の心の思いも、人間の苦しみに対する、救いを願っているのです。

by kateishukai | 2018-05-20 08:13