霞が関集会 2019年1月15日
新年初めての集まりが、1月15日にバリアフリーの のぞみ教会で持たれました。
5名でにぎやかに好きな讃美歌を歌い、おしゃべりをしながら、聖書の知恵に耳を傾けました。
「心の清い人たちは、さいわいである。彼らは神を見るであろう」マタイ5:8
イエスの時代には、ユダヤ人は聖なる民として創造神に選ばれたため、食物、行動においても清くあることが求められていました。汚れたものを食べない、死体・汚れたものなどにふれたら清めの儀式をする、罪を犯したら燔祭を捧げるとの宗教的な清めを日常的に行っていたのです。
でも、イエスは幸いなのは、「心の清い人」で、「「杯や皿の外側は清くするが、内側は貪欲と不節性でみちている」人はわざわいだと言われました。マタイ23:25
心が清いとは、「手が清く、心のいさぎよい者、その魂が空しいことにのぞみをおかないもの、偽って誓わないものこそ、その人である。このような人は主から祝福をうける。」詩篇24:4,5節 とあるように、二心でない純粋な心なのではないでしょうか?
人間は誰も自己中心ですから、純粋にはなりきれない者です。清くしてくださるイエス・キリストを仰ぎながら、心にあるものを確認させていただきたいと思うのです。1ヨハ1:7 へプル9:14 へブ13:12
by kateishukai | 2019-01-31 19:41