11月くるみの木集会報告

11月22日(火)「くるみの木」集会の主催で紅葉がりに行き、5人の方が名栗湖や素敵なレストランでの昼食、そして能仁寺の紅葉を楽しみました。
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# by kateishukai | 2017-01-01 13:33

10月「クルミの木集会」報告

10月18日 クルミの木集会の中心的なメンバーのS姉が、現在入院中の中で、この会の開催が危ぶまれました。しかし、S姉の開催への強い希望があって、今月もクルミの木のおいしいバナナケーキをいただきながら、7名で話し合い、歌いあう時を過ごしました。「高慢」「知恵」「学ぶこと」「聴く耳」などについて話が弾みました。
来月の11月22日は、紅葉狩りに行く予定です。参加ご希望の方は教会までメールをお送りください。 また、どうぞ入院中のS姉の為に続けてお祈りください。


聖書からは、前回からの続きで、西岡まり子副牧師から、聖書の格言、箴言の中から「知恵の悪用方法!?」とのお話しがありました。

箴言3章の「知恵の6つの条件」の4番目です。3章7,8節
「自分を見て賢いと思ってはならない、
  主を恐れて、悪を離れよ
そうすれば、あなたの身を健やかにし、あなたの骨に元気を与える」 

1、 カシコイって、いけないの?
7節は、「自分を知恵のある者と思うな」とも訳されています。3章13節からを見ると、「知恵を求めて得る人…は幸い」13節とあり、「知恵は宝石よりも尊く」15節と記され、知恵の大切さは説かれているのですが、
同時に、その知恵をもって、自分が賢いと自分の誉れにしていく高慢な姿にソロモンは警告を鳴らしています。
2、 高慢だと…
  「高ぶる目、偽りを言う舌、罪なき人の血を流す手」6:17
  「高ぶりはただ争いを生じる、勧告を聞くものは知恵がある」13:10
  「へりくだって貧しい人々と共におるのは、高ぶるものと共にいて、獲物を分けるにまさる」16:18-19
  「高ぶった横暴な者―その名は「あざける者」、彼はいばって、横暴なふるまいをする」21:24 新改訳   このほかにも多く挙げられています。
高ぶりは、他の人よりも自分を高くすることで、その根底には争いがあり、自分の為には他者を蹴落としていくような、自らを絶対化する無意識があるのではないでしょうか。その無意識は、他人を辱め、傷つけ、争い、血を流し、破滅へと導くものです。人類の生み出した武器は、知恵を結集し、最先端の科学を用いたものでもあるのです。
だからこそ、3章21節でも「わが子よ、確かな知恵と、慎みとを守って」と警告するのです。
その知恵を自分のものとして誇る時に、高慢になります。自らを「正義」とし、世を裁く姿勢もそうでしょう。「主を恐れよ」と、すべての中で神を認め神の前に自らを低くさせていただきたいのです。
3、 知恵を悪用すると…
知恵と悪とは、実は切っても切れない関係にあると思われます。3:29-35 知恵と力が組み合わされ、暴虐な行動をとる人。知恵とよこしまに欲を満たすことがつながり、詐欺や盗み、偽りが横行します。おれおれ詐欺の進化は目を見張るものがあります。どうしてあそこまで悪知恵が働くのでしょうか。人をあざける態度も、知恵を自らの誉れとし高慢になった人のなせる悪徳なのです。
箴言の知恵は、この高慢や、悪知恵から離れていく時に、神を恐れる知恵と、神への信頼の故に心に平安が与えられ、身を健やかにし、骨に元気(活力)を与えられていくと諭すのです。

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# by kateishukai | 2016-11-01 17:23

10月「クルミの木集会」報告

10月18日 クルミの木集会の中心的なメンバーのS姉が、現在入院中の中で、この会の開催が危ぶまれました。しかし、S姉の開催への強い希望があって、今月もクルミの木のおいしいバナナケーキをいただきながら、7名で話し合い、歌いあう時を過ごしました。「高慢」「知恵」「学ぶこと」「聴く耳」などについて話が弾みました。
来月の11月22日は、紅葉狩りに行く予定です。参加ご希望の方は教会までメールをお送りください。 また、どうぞ入院中のS姉の為に続けてお祈りください。


聖書からは、前回からの続きで、西岡まり子副牧師から、聖書の格言、箴言の中から「知恵の悪用方法!?」とのお話しがありました。

箴言3章の「知恵の6つの条件」の4番目です。3章7,8節
「自分を見て賢いと思ってはならない、
  主を恐れて、悪を離れよ
そうすれば、あなたの身を健やかにし、あなたの骨に元気を与える」 

1、 カシコイって、いけないの?
7節は、「自分を知恵のある者と思うな」とも訳されています。3章13節からを見ると、「知恵を求めて得る人…は幸い」13節とあり、「知恵は宝石よりも尊く」15節と記され、知恵の大切さは説かれているのですが、
同時に、その知恵をもって、自分が賢いと自分の誉れにしていく高慢な姿にソロモンは警告を鳴らしています。
2、 高慢だと…
  「高ぶる目、偽りを言う舌、罪なき人の血を流す手」6:17
  「高ぶりはただ争いを生じる、勧告を聞くものは知恵がある」13:10
  「へりくだって貧しい人々と共におるのは、高ぶるものと共にいて、獲物を分けるにまさる」16:18-19
  「高ぶった横暴な者―その名は「あざける者」、彼はいばって、横暴なふるまいをする」21:24 新改訳   このほかにも多く挙げられています。
高ぶりは、他の人よりも自分を高くすることで、その根底には争いがあり、自分の為には他者を蹴落としていくような、自らを絶対化する無意識があるのではないでしょうか。その無意識は、他人を辱め、傷つけ、争い、血を流し、破滅へと導くものです。人類の生み出した武器は、知恵を結集し、最先端の科学を用いたものでもあるのです。
だからこそ、3章21節でも「わが子よ、確かな知恵と、慎みとを守って」と警告するのです。
その知恵を自分のものとして誇る時に、高慢になります。自らを「正義」とし、世を裁く姿勢もそうでしょう。「主を恐れよ」と、すべての中で神を認め神の前に自らを低くさせていただきたいのです。
3、 知恵を悪用すると…
知恵と悪とは、実は切っても切れない関係にあると思われます。3:29-35 知恵と力が組み合わされ、暴虐な行動をとる人。知恵とよこしまに欲を満たすことがつながり、詐欺や盗み、偽りが横行します。おれおれ詐欺の進化は目を見張るものがあります。どうしてあそこまで悪知恵が働くのでしょうか。人をあざける態度も、知恵を自らの誉れとし高慢になった人のなせる悪徳なのです。
箴言の知恵は、この高慢や、悪知恵から離れていく時に、神を恐れる知恵と、神への信頼の故に心に平安が与えられ、身を健やかにし、骨に元気(活力)を与えられていくと諭すのです。

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# by kateishukai | 2016-11-01 17:23

9月のクルミの木報告

「台風が来る」との予測の中、9名のメンバーが集まってきました。
夏が終わり、秋を時々感じる朝晩にピッタリな歌 小さい秋を歌いました。
今回は、西岡まり子副牧師から、聖書の格言、箴言の中から「人生で頼りになるもの」についてかたられました。

皆さんは何を頼りに生きていらっしゃいますかとのインターネットでの質問への答えは・・・
一番多い答えは、「自分」でした。例えば・・・
A.頼るべき物は、ただ自分の力あるのみ。・・宮本武蔵
当てが外れてガッカリするより武蔵の生き方で、
誰も当てにしないで日々生きています。
でも、病気や事故を体験し、最後の頼みの自分さえも、頼れないものなのだと気付いた人の答えもありました。
A.ちなみに私はいままで頼ってきたものに裏切られ続けて生きてきましたから、今ではどうでもよくなりました。
ようするに頼れるものが見つかりません。
私たちが、人生の経験を積めば積むほど、頼れるものがないことに気付くのですが。この震源の中では、はばからずに
「心をつくして主に信頼せよ、自分の知識に頼ってはならない。
すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」箴言3:6と言われます。
ここでの「頼る」とは、「自分のすべてを投げかけるよう」な全面的な信頼です。
そんな全存在をゆだねられても、人間だと支え切れません。命の創始者であり、この命に責任を持って送り出し、天(永遠)に迎え入れてくれる存在。この世界を作られた方に頼るのです。
「すべての道で主を認め」るとは、人生で起こる一つ一つのことが、神の導きの中にあることを受け止めます。偶然と人はいうかもしれませんが、運命というか、天からの命でなっているのではないでしょうか。
一つ一つの出来事を認めていく時に、その人生の道のりがまっすぐ(英語では、clear, Straight, smooth)にされていくのです。永遠の国を目指しながら。

次回は10月18日(火)です。

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# by kateishukai | 2016-10-09 08:30

くるみの木集会 8月の報告

8月の家庭集会の報告

家から、道路に出たとたんにジリジリするような猛暑! そのような暑さの中でしたが、8人が1:30には、会場のカフェ・レストランくるみの木に集うことができました。きょうは、初参加の二人の自己紹介でスタートし、開会祈祷の後、190番「静けき祈りの」を賛美しました。

本日のメッセンジャーは、西岡義行牧師です。先生が教会から運んで来てくださった大きな聖書で、それぞれが開いたページは、ピリピ4:10-13です。

「どんな境遇に会っても足る」

 パウロは、どんな境遇に会っても足ることを学んだといいますが、この、「足ること」(アウタルケース)という言葉の背後には、紀元前300年ごろからゼノンによって広げられたストア派の考え方があるとされます。その教えの中心の1つが、「自足」の倫理であった。意のままになる領域とならない領域を判別し、ならない領域(天候、季節、運命、天災など)を受け入れる心、そして意のままになりうる自分の内的世界を制御することが強調される。周りがどんなに混乱しようとも、自ら足りるという安定した内的世界を確立することが成熟した大人であるとしました。
 実際、これが出来ればどんなに素晴らしいかと思います。語り合いの中で、まさに、東京大空襲の中の惨禍の中、逃げ回った体験や、その後の苦しい生活など、足ることがない中で、足ることを学ばざるを得ない現実を知りました。それほどの経験をした方と、豊かな時代の中で、育った方との感覚の違いは、聞けば聞くほど、実感してしまいます。
 もう一つのことは、12節で「秘訣」と訳されていることばが、当時の密儀宗教では、「入信」を意味する言葉であるという事実でありました。「秘儀を通して救いの境地に入る」ことで、どんな境遇にあっても、この地上の様々な現実から逃避して、神秘的な世界に逃避し、超自然的神との合一により、あらゆるものから解放されることを求める神秘宗教は、ピリピの人々に大きな影響を与えていたものでした。それは魅力がありますが、パウロは全く異なる道を示して下さったのです。
 それは、「足ることを学んだ」の意味に隠されています。そこにある「学んだ」は不定過去であり、一回の出来事でその後のありか方が決定的となるような行為をさします。プロポーズに応答するという行為は一回限りであっても、その後の二人の関係を決定付けます。それと同じような経験によって、足ることを学ぶとはどういうことでしょう。それは、パウロがイエスと深い関係が築かれ、それ故に、どんなことがあっても、大丈夫なのだという確信が与えられたと言うのです。
 小さな子は、暗い教会堂に行くのは、怖くて行けないと訴えます。しかし、同じところも、大人と一緒なら行けるのです。どんな状況にあっても、誰かと一緒であれば、その方と契約があれば、「足ること」は可能なのです。それが、主との関係を築くということの中身なのです。

 み言葉を読み、先生のお話を聞き、どんな状況の中でも主と共に歩めば、「足ること」が出来る。心がほっと温かくなりました。

戦火の中、火の粉が飛んできて燃えそうな橋を命からがら渡り、その後も着の身着のままの生活が続いたお話、子どもだと監視の目も甘いからと闇の物資を背負わされたお話・・・・戦争について考える機会の多い、この8月、今、平和であることに感謝し、この平和を守っていくことの大切さも学びました。

先生のお祈りの後、206番「飼い主わが主よ」を賛美し、季節の歌は、「海」を歌いました。

楽しく、賑やかなティータイムの後、9月20日(火)13:30~の集会で会えることを楽しみにお別れしました。


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# by kateishukai | 2016-08-25 22:56