5月の家庭集会の報告

5月の家庭集会の報告

 場所はいつもの「くるみの木」の2階の貸し切りの部屋です。先月は、大きな窓からまるで日本画のような満開の桜の大木を見ながらの集会でした。5月の集会では、その桜の木が小雨の中で滴るような新緑を見せてくれました。毎月、この大きな窓からその季節ならではの景色を見ることができるのも楽しみです。あいにくのお天気でしたが、まり子師を中心に7人集まることができたことを神様に感謝して集会を始めました。開会のお祈りの後、251番「主イエスの御側に」を賛美し、まり子先生のメッセージです。

まり子先生のメッセージ

箴言シリーズ 5 箴言3章 「知恵の6つの条件」

「長寿の条件」

一つ目の条件は、

「わが子よ、わたしの教えを忘れず、わたしの戒めを心にとめよ」箴言31節、

そうすれば・・・これはあなたの日を長くし命の年を延べ、あなたに平安を増し加える。」

ここに、人類が追い求めてやまない、長寿の条件が記されているのです。それにしても、なんてありふれた条件なのでしょう。いいえ、「教えを忘れず」「戒めを心にとめる」とは、どちらかというと、戒めで「…しなければならない」とがんじがらめに縛られるようで、平安を増し加えるよりも、束縛と不安を増し加えるように思えますが…。

   箴言での「教え」は、1章の「母の教え」でもありましたように、詩篇12節の「主のおきて」と同義語が使われています。神の与えられたおきて、戒めは、イスラエルの民に出エジプトの後与にえられたものです。このような生活・生き方をすればあなた方は神の民、私の宝となるのだよ、と出エジプト19:3~で語られた言葉です。

   とかく、私たちは、おきてをもってこのようにしなければならないとの「すべき」にコントロールされ、犠牲者意識に支配され、神様が宝のように思ってくださっていることを忘れがちですが、この神様の真意を心にいつも覚えていく時に、平安が増していくのではないでしょうか。

実はこの「平安」、新約聖書で、「救い」との同義語なのです。

平安は、災害、失敗、人間関係のストレスがすべてなくなるから平安なのではありません。その中にあっても、罪深い、禍のある世界にあっても、イエスがあなたを救う、罪から自由にするよ、ただ神の前に悔い改めなさい、と語られるのです。

 神に許され、救われた者の心の平安は、誰にも奪うことができない確実なものなのです。

また、長く生きる長寿も祝福なのですが、旧約聖書では、「永遠の命」をも示します。この体は、限りがあり、弱さも、痛みも、病も、死もあります。この肉体から自由になる永遠の世界の祝福もあるのです。

そうすれば…」とあります。実行してみる時に、その平安が、長寿の幸いが味わえることでしょう。

幸いなメッセージ、そして先生のお祈りの後、190番「静けき祈りの」を賛美しました。今月の季節の歌は、熊本県の被災者の方々に早く「ふるさと」が戻るようにとの願いを込めて「ふるさと」を歌いました。おいしいシホンケーキとコーヒーをいただきながらのフリートーキングは、いつも通り、話題が尽きない楽しいときです。ここでは、何を話しても大丈夫という安心感があるなごやかな大切なひとときでした。

次回は、621()13:30~ 「くるみの木」2階です。


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# by kateishukai | 2016-05-27 21:59

4月の家庭集会の報告

4月の家庭集会の報告

第3週の火曜日が定例の家庭集会ですが、4月は、桜の花を見ながらの集会ということで、第1週の火曜日4月5日に繰り上げて開かれました。会場の「クルミの木」の2回の部屋は、障子が取り外され、大きな窓から見える満開の桜の大木は、さながら日本画を見ているようでした。出席者は10名。時間もいつもより30分早く、1300開始で、第一部は、身体の栄養タイムで「クルミの木」特製のお花見ランチをいただきました。デザートまでおいしくいただいた後は、第二部 心の栄養タイムです。お祈りの後、賛美477番「原に若草が」を賛美しました。

まり子先生のメッセージ

()見のこころ、その魅力   マタイ62830

桜が咲いたら、花見に行きますか?との問いに、9割が行きますと答える桜好きの日本です。

桜の魅力とは何でしょう?

1、その美しさです。 マタイ6:28 桜に限らず、野に咲く花にでさえ、高価な宝石や美しい衣装にも劣らない美しさがあります。古代イスラエルの一番栄えた王は、ダビデ王の息子であるソロモンです。知恵に満ちている王ですが、その富をもって着飾っても、この花の一つほどにもならないというのです。マタイ6:29 桜の美しさも、お金では替えられないものです。

美しさに感激し、価値を覚え、美しさを求める人間は、自分が人からどのように見られるか気にしすぎる特徴もあります。美しくなければいけないと思ったり。「みっともない」と裁いたりする心です。 外面に、体裁に心奪われ、自分の自信を失ったり、どのように体裁を整えるかにあくせくしたり、不安に思ったりすることは、聖書にある、「着物の心配」なのではないでしょうか。

3031節にあるように 野の花でさえこのように装ってくださるのだから、あなた方には、それ以上よくしてくださるのです。それが、心配無用の理由なのです。 

2、もう一つの桜の魅力とは、そのはかなさです。花の命はもって1週間。 今日咲いていて、明日刈られ焼かれてしまう野の草でさえ神がこのように装ってくださるのなら、あなた方には、それ以上よくしてくださらないはずがあろうかと、だから思い煩うなと、神はチャレンジされるのです。

桜のはかなさと、人間のはかなさは必ず肉なるものが朽ちるという共通点もありますが、大きな相違点もあります。桜咲く4月は、入学式の新しい門出を祝うと同時に、卒業式、別れをも味わいます。人との出会いを重ねるごとに人生の豊かさが増します。はかないながらも、とても濃密な人生なのです。そして終わる人生であると同時に、永遠に存在する魂の故に、永遠の世界を持つ存在なのです。そんな、あなた方に、それ()以上によくしてくださらないはずがあろうかと、そんな神様なのだよと教えてくださるのです。だから、何をもって自分を美しく見せようかと、心配する必要はないのです。神に作られたそのままの姿で十分に美しいのです。

先生は、大きな絵本を持て来てソロモンの絵を見せてくださったので、その時代の様子がよくわかりました。先生のお祈りの後は、286番「シャロンの花」を賛美し、季節の歌は、目の前の桜を眺めながら「花」を歌いました。

 み言葉で心満たされた後のティータイムでは、日常のさまざまな話題が語られ、賑やかな、心楽しい時を過ごすことができました。

次回は5月は17日(火)13:30~「クルミの木」2階にて開く予定です。


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# by kateishukai | 2016-04-08 09:39

2016年3月家庭集会の報告

2016年3月家庭集会の報告
冷たい雨が降る肌寒い日が続いたので、足元の悪い中を会場まで来られるのは、大変だろうと心配していました。朝、雨戸を開けると晴れ!「よかった。」と思っていたのですが、昼前から風が強くなり、気温もあまりあがりませんでした。そのような中、8人のメンバーが風にも負けず、風邪にも負けずに、集うことができて感謝でした。定刻13時30分にお祈りで始まり、続いて384番「主よ御手もて」を皆で賛美しました。
まり子先生のメッセージは、箴言の4回目です。「わが子よ」と呼びかけられる箴言は、はるか2000年以上も前の内容が、2016年に生きる私たちに生き生きと伝わるということに不思議を超えたものが感じられます。
1章後半では、強い者が弱い者からかすめ取る「利をむさぼる者の道」(1:19)は、現代も同じであり、貪欲への誘惑に気を付けるように教えられます。その良いことと悪いことの区別ができ、物事を正しく判断できる人になるには、どうすればいいかが「わが子よ」2:1と呼びかけられて記されているのです。実は2章全体を通して「人生は求道である」ことが記されています。
① まずは、人生は求めること。何を求めるかと言うと知恵を求めます、しかも熱心に。「あなたの耳を知恵に傾け、あなたの心を悟りに向け」(2:2)見失った大切な物を熱心に探すように「銀を求めるように、これを求め、かくれた宝を尋ねるように、これを尋ねるならば」「あなたは主を恐れることを悟り、神を知ることができるようになる」(2:4,5)人間も素晴らしい科学の知恵を求めてきましたが、神の前で恐れへりくだることなしでは、人間の驕り、高ぶりで科学の用い方を誤り、大変なことになるのは、人類の歴史が語っているところです。
②後半は、道について語られます。生きることは道を歩むことではないでしょうか。「正しい人のために、確かな知恵をたくわえ、誠実に歩む者の盾となって、公正の道を保ち、その聖徒たちの道筋を守られる。」(2:7,8)ここでは、2種の道があるようです。公正の道、そして悪の道。「慎みは、あなたを守り、悟りはあなたを保って、悪の道からあなたを救い、偽りをいう者から救う。」(2:11,12)知らず知らずのうちに、その道に迷い入ってしまうこともあるかもしれませんが、わかっていても、悪の道を歩んでいく人たちもいることでしょう。まさに驕り、高ぶりから罪を犯す現代の人たちに向かって語られているようです。「彼らは正しい道を離れて、暗い道に歩み、悪を行うことを楽しみ、悪人の偽りを喜び、その道は曲がり、その行いはよこしまである。」(2:13,14)平成27年度390億円の被害を出して、日々、新聞やテレビで報道されている振り込め詐欺がここまで拡大してきた、悪に歩む人々の心理が映し出されているようです。
「正しい人は、地にながらえ、誠実な人は地にとどまる」(2:21)「しかし、悪しき者は、誠実な人は地にとどまる。しかし、悪しき者は地から断ち滅ぼされ、不信実な者は、地から抜き捨てられる」(2:22)
 人は、どの道を歩むかで人生が決まります。道は、歩みの連続です。そして、道によりたどり着くところが違います。小さなことにも誠実に向き合い、コツコツと感謝をもって生きる日々の連続が道となります。神を畏れて歩む日々こそ、箴言を通して神様が私たちに望んでおられる道であるのではないでしょうか。
聞いている一人一人の心にしっかりと伝わるメッセージに感謝しました。
 
まり子先生のお祈りの後、22番「御神の愛をば」を賛美しました。今月の季節の歌は、「おぼろ月夜」です。近くの畑や河原など、ちょうどあちらこちらで菜の花を目にする時季で、季節感を味わいながら歌いました。
 *4月の家庭集会は定例の第三火曜日ではなく、会場の「くるみの木」の前の桜が満開の頃を考え、第一火曜日4月5日時間も定例より30分早く13:00開始で、桜を愛でつつランチタイムをもち、食後に学びの時を持つ予定です。
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# by kateishukai | 2016-03-24 00:28 | 家庭集会

2016年2月くるみの木集会報告

2016年2月の家庭集会の報告
 「くるみの木」集会の2回目です。障子が取り払われた大きな窓から見える桜の大木が心なしかなんとなくピンクっぽい雰囲気が感じられました。春がすぐ近くまで来ているようです。
 午前中に教会で告別式があった関係で1:30開始の予定が少しずれましたが、まり子師をはじめ7人が集まりました。開会のことば、お祈りの後、233番「驚くばかりの」を賛美しました。
今回のメッセージは箴言Part3です。知恵に優れたソロモン王は「主を恐れることは知識の始めである。」(1:7)神様を敬うことが人間としての知識の第一歩であり、「愚かな者は、知恵と教訓を軽んじる」と私たちに告げている。「わが子よ、あなたは父の教訓を聞き、母の教えを捨ててはならない。」(1:8)この部分は、前回、自分たちの父や母のイメージを語り合った箇所で父のイメージは、厳しさ、母のイメージは、手取り足取り教え導くそのことが、「あなたの頭の麗しい冠となり、あなたの首の飾りとなる」(1:9)「悪者があなたを誘っても、それに従ってはならない。」(1:10)ソロモンは、孤独に負けやすい今の時代の人々にもしっかりと告げている。1:18,19の「利を貪る者」思わず、オレオレ詐欺を思い出してしまう。又、中南米のコスタリカやエクアドルでは、バナナ生産農場の労働者たちは、12時間労働という人たちがいたり、農薬散布の下での労働に従事したり倉庫では、防腐剤を浴びての労働もあるとのこと、又、カカオ農園では、アメリカでは禁止されている農薬が散布されている農園に売られてきた子供たちが利を貪る人たちに働かされ、結果として無精子症となるという現実がある。強い者が利を貪る結果である。それこそ、ソロモンの言う「歩んではならない悪しき者の道」そのものである。「それを避けよ、通ってはならない、それを離れて進め。」(4:14.15)
ソロモンのことばは、2016年に生きるアジアの日本の私たちにも呼びかけている。「わが子よ、私の言葉に心をとめ、わたしの語ることに耳を傾けよ。それをあなた目から離さず、あなたの心のうちに守れ。それは、これを得る者の命であり、またその全身を健やかにするからである。油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れ出るからである。」(4:20~23)
ついふらふらと悪の道に誘われていく弱さは、ソロモンの時代でも今の同じである。「あなたの足の道に気をつけよ。そうすれば、あたのすべての道は安全である。右にも左にも迷い出てはならない。あなたの足を悪から離れさせよ。」(4:26,27)毎日のニュースになっている人たちがこのみ言葉にふれていたら・・と心底そう、思いました。
 まり子師のお祈りの後、206番「飼い主わが主よ」を賛美し、今月の季節の歌「早春賦」を季節を感じながら歌いました
その後、飛び入りでオカリナの演奏を聞かせていただいたり、たまたま下のカフェに来られた高橋武夫師ご夫妻(この家庭集会の最初の2年間導いてくださった牧師先生ご夫妻)も私たちの部屋に来てくださり、皆で楽しい時を過ごすことができました。
 次回は3月15日(火)13:30~です。
4月は、目の前の桜のお花見を計画しています。4月5日です。
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# by kateishukai | 2016-02-24 22:28

2016年1月の家庭集会の報告

2016年1月の家庭集会の報告
「佐藤宅家庭集会」 → 「くるみの木集会」
毎月第3火曜日10:30~開いていた家庭集会ですが、都合で会場が変更になりました。新しい会場を祈り求めていたところ、佐藤宅のすぐ近くに新しい会場が与えられました。大きな池のある公園のほとりにある「くるみの木」というカフェの2階を貸し切りで使わせていただけることになりました。大きな窓の障子を開けると桜の大木が見え、春には、お花見も楽しめるすばらしい立地です。時間は、「10:30~」 → 「13:30~」に変更になりました。午後なら参加できるという方がおられ、来月から来られるそうです。「クルミの木集会」第一回の2016年1月の集会は、出席者は、まり子先生を中心に5名でした。開会の祈り、続いて、新聖歌209番「慈しみ深き」を賛美しました。
 先生のお話は、前回に続いて「箴言」です。10月の集会でも話されたように、「主を恐れることは知識の始めである。」(1:7)の聖句が、箴言の本質を表している。このみ言葉の「主を恐れる」というのは、「神様を敬う」という意味で、神様の存在を信じることが、人間としての知識の第一歩であるとソロモン王は、その当時の人たちだけでなく、今、生きている私たちにも告げている。
 「わが子よ、あなたは父の教訓を聞き、母の教えを捨ててはならない。」(1:8)この聖句から、それぞれの父のイメージ、母のイメージを話し合い、ひととき子供時代に返り、「父は自制心があり、指示するが最後の砦」「母は、優しく、安全な道を教え、行けば安全という道を示すが、ともすると過干渉になってしまう。父は、働く人として自然体で子供に教え、母はゆったりとした温かさで子供に教えてきたのが自分たちの親の代であったが、現代の親子関係は、どうなっているか?いろいろ厳しい状況が見られる。聖書の父とは、天の父のことであり、「父と母があなたを捨てても私はあなたを捨てない」これがその天の父の愛である。「たとい父母がわたしを捨てても、主がわたしを迎えられるでしょう。」(詩編27:10)
「わが子よ、あなたは父の教訓を聞き、母の教えを捨ててはならない。」(1:8)この聖句の父の教訓、母の教えは、神を神として敬い、自分の罪に気づくことである。この罪とは法律的な罪でなく「自己中心」の罪である。この自己中心の罪に気づくと人を「許す」ことができるようになる。
「主を恐れることは知識の始めである。」(1:7)
ソロモンが現代の私たちにも告げているこのみ言葉を味わいました。
まり子先生のお祈りの後、新聖歌325番「歌いつつ歩まん」を賛美しました。恒例の季節の歌は、雪景色を見ながら「雪」「雪やこんこ 霰やこんこ」と元気に歌って集会を閉じました。その後は、ケーキとコーヒーでおしゃべりを楽しみました。次回は2月16日(火)13:30~くるみの木の2階です。
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# by kateishukai | 2016-01-27 22:28