2016年2月くるみの木集会報告

2016年2月の家庭集会の報告
 「くるみの木」集会の2回目です。障子が取り払われた大きな窓から見える桜の大木が心なしかなんとなくピンクっぽい雰囲気が感じられました。春がすぐ近くまで来ているようです。
 午前中に教会で告別式があった関係で1:30開始の予定が少しずれましたが、まり子師をはじめ7人が集まりました。開会のことば、お祈りの後、233番「驚くばかりの」を賛美しました。
今回のメッセージは箴言Part3です。知恵に優れたソロモン王は「主を恐れることは知識の始めである。」(1:7)神様を敬うことが人間としての知識の第一歩であり、「愚かな者は、知恵と教訓を軽んじる」と私たちに告げている。「わが子よ、あなたは父の教訓を聞き、母の教えを捨ててはならない。」(1:8)この部分は、前回、自分たちの父や母のイメージを語り合った箇所で父のイメージは、厳しさ、母のイメージは、手取り足取り教え導くそのことが、「あなたの頭の麗しい冠となり、あなたの首の飾りとなる」(1:9)「悪者があなたを誘っても、それに従ってはならない。」(1:10)ソロモンは、孤独に負けやすい今の時代の人々にもしっかりと告げている。1:18,19の「利を貪る者」思わず、オレオレ詐欺を思い出してしまう。又、中南米のコスタリカやエクアドルでは、バナナ生産農場の労働者たちは、12時間労働という人たちがいたり、農薬散布の下での労働に従事したり倉庫では、防腐剤を浴びての労働もあるとのこと、又、カカオ農園では、アメリカでは禁止されている農薬が散布されている農園に売られてきた子供たちが利を貪る人たちに働かされ、結果として無精子症となるという現実がある。強い者が利を貪る結果である。それこそ、ソロモンの言う「歩んではならない悪しき者の道」そのものである。「それを避けよ、通ってはならない、それを離れて進め。」(4:14.15)
ソロモンのことばは、2016年に生きるアジアの日本の私たちにも呼びかけている。「わが子よ、私の言葉に心をとめ、わたしの語ることに耳を傾けよ。それをあなた目から離さず、あなたの心のうちに守れ。それは、これを得る者の命であり、またその全身を健やかにするからである。油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れ出るからである。」(4:20~23)
ついふらふらと悪の道に誘われていく弱さは、ソロモンの時代でも今の同じである。「あなたの足の道に気をつけよ。そうすれば、あたのすべての道は安全である。右にも左にも迷い出てはならない。あなたの足を悪から離れさせよ。」(4:26,27)毎日のニュースになっている人たちがこのみ言葉にふれていたら・・と心底そう、思いました。
 まり子師のお祈りの後、206番「飼い主わが主よ」を賛美し、今月の季節の歌「早春賦」を季節を感じながら歌いました
その後、飛び入りでオカリナの演奏を聞かせていただいたり、たまたま下のカフェに来られた高橋武夫師ご夫妻(この家庭集会の最初の2年間導いてくださった牧師先生ご夫妻)も私たちの部屋に来てくださり、皆で楽しい時を過ごすことができました。
 次回は3月15日(火)13:30~です。
4月は、目の前の桜のお花見を計画しています。4月5日です。
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# by kateishukai | 2016-02-24 22:28

2016年1月の家庭集会の報告

2016年1月の家庭集会の報告
「佐藤宅家庭集会」 → 「くるみの木集会」
毎月第3火曜日10:30~開いていた家庭集会ですが、都合で会場が変更になりました。新しい会場を祈り求めていたところ、佐藤宅のすぐ近くに新しい会場が与えられました。大きな池のある公園のほとりにある「くるみの木」というカフェの2階を貸し切りで使わせていただけることになりました。大きな窓の障子を開けると桜の大木が見え、春には、お花見も楽しめるすばらしい立地です。時間は、「10:30~」 → 「13:30~」に変更になりました。午後なら参加できるという方がおられ、来月から来られるそうです。「クルミの木集会」第一回の2016年1月の集会は、出席者は、まり子先生を中心に5名でした。開会の祈り、続いて、新聖歌209番「慈しみ深き」を賛美しました。
 先生のお話は、前回に続いて「箴言」です。10月の集会でも話されたように、「主を恐れることは知識の始めである。」(1:7)の聖句が、箴言の本質を表している。このみ言葉の「主を恐れる」というのは、「神様を敬う」という意味で、神様の存在を信じることが、人間としての知識の第一歩であるとソロモン王は、その当時の人たちだけでなく、今、生きている私たちにも告げている。
 「わが子よ、あなたは父の教訓を聞き、母の教えを捨ててはならない。」(1:8)この聖句から、それぞれの父のイメージ、母のイメージを話し合い、ひととき子供時代に返り、「父は自制心があり、指示するが最後の砦」「母は、優しく、安全な道を教え、行けば安全という道を示すが、ともすると過干渉になってしまう。父は、働く人として自然体で子供に教え、母はゆったりとした温かさで子供に教えてきたのが自分たちの親の代であったが、現代の親子関係は、どうなっているか?いろいろ厳しい状況が見られる。聖書の父とは、天の父のことであり、「父と母があなたを捨てても私はあなたを捨てない」これがその天の父の愛である。「たとい父母がわたしを捨てても、主がわたしを迎えられるでしょう。」(詩編27:10)
「わが子よ、あなたは父の教訓を聞き、母の教えを捨ててはならない。」(1:8)この聖句の父の教訓、母の教えは、神を神として敬い、自分の罪に気づくことである。この罪とは法律的な罪でなく「自己中心」の罪である。この自己中心の罪に気づくと人を「許す」ことができるようになる。
「主を恐れることは知識の始めである。」(1:7)
ソロモンが現代の私たちにも告げているこのみ言葉を味わいました。
まり子先生のお祈りの後、新聖歌325番「歌いつつ歩まん」を賛美しました。恒例の季節の歌は、雪景色を見ながら「雪」「雪やこんこ 霰やこんこ」と元気に歌って集会を閉じました。その後は、ケーキとコーヒーでおしゃべりを楽しみました。次回は2月16日(火)13:30~くるみの木の2階です。
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# by kateishukai | 2016-01-27 22:28

11月の家庭集会は紅葉狩り

11月の家庭集会の報告
 今月の家庭集会は、青梅方面に紅葉狩りに出かけました。参加者10名で9:30に西岡牧師の名運転で出発。飯能の天覧山→岩蔵温泉を経て青梅に向かう途中の紅葉に目が癒され、ままごとや(豆らく)に10時30分お店の前の急坂を下りることにも成功して無事到着。つり橋から眺める紅葉の景色に感動しつつ30分ほど散策。
11:00お店のオープンと同時に一番乗りで店内に案内され、ままごとやの美しい庭園を眼の前にし、ところ狭しと並べられたお豆腐料理を堪能しました。普段食べているお豆腐とは、一味違うおいしさに驚きつつ味わいました。
 食事を終え、川沿いの狭い道を山あいに流れる美しい川を眺めながら、楽しくおしゃべりしながら歩きました。
 12:10に豆らくを後にし、西岡牧師の案内でいもうとやの見事に紅葉したイチョウの大きな木に圧巻!写真を撮ったり、ベンチに腰を下ろしたり、紅葉の山あいに流れる多摩川の源流のロケーションにうっとりし、秋のすがすがしい空気を満喫。
13:00時間に余裕があり、飯能の美杉台の生活の木(薬香草園)に向かう。
13:25着。アロマの香に包まれた店内を見学。おいしいソフトクリームを楽しみました。14:20、ほとんど散っていたにもかかわらず、紅葉の美しさを残していたモミジバフウを車中から両側に見ながら、帰途に向かう。車中では、隣同士で話に花が咲いていました。
 15:00無事帰着。感謝と共に解散。西岡牧師の安全かつ上手な運転に心から感謝です。

 (MS姉 記)

12月は、市民クリスマスや教会のクリスマスなど本当のクリスマスに触れる時にしたいと思っています。
いつも通りの家庭集会は、1月19日(火)10:30~です。

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# by kateishukai | 2015-12-03 22:09

10月の家庭集会の報告

10月の家庭集会の報告

 1020日(火)すがすがしい秋晴れで、初参加の方も含めて10名のメンバーが集まりました。1030分に開会のお祈り、続いて新聖歌20番「主の真実はくしきかな」を賛美しました。

 まり子師のメッセージは、今月からは、箴言に基づいたお話です。

いわゆる「格言」は、いわば、ひとりの人間の機知であり、「箴言」は、適格なことばで私たちに人生の指針となる知恵を与える「鍼」のような意味を持つ。「主を恐れることは知識のはじめである」(箴言1:7)の聖句が箴言の本質を表している。

主を恐れない人 ◎自分の力で何でもできると思っている高慢な人

        ◎恐れを感じないで衝動や欲望で動く人

        ◎何も考えずに行動する人

この「恐れる」ということばは、「こわい」という意味ではなく、「主を畏れ、敬うこと。神様に対して畏敬の念を持つ」ことである。すべてを支配するのは人間ではなく、天地万物を造られた神様の存在を知って、その神様を敬うことが知識のはじめである。

 父ダビデが「主のさとしを守り、その道に歩み、その定めと戒めと、おきてとあかしとを、モーセの律法にしるされているとおりに守らなければならない。」(列王 上2:3)と言い遺した通りの道を歩んでいたソロモンに主は言われた「あなたに何を与えようか、求めなさい。」ソロモンは言った、「聞きわける心をしもべに与えて、あなたの民をさばかせ、わたしに善悪をわきまえることを得させてください。」(列王 上3:9)自分のために長命を求めず、自分のために富も求めず、ただ訴えをききわける知恵を求めた(列王 上3:11)ソロモンに主は賢い英明な心を与えられた。そのソロモンの箴言「主を恐れることは知識のはじめである」(箴言1:7)の聖句が聞く私たちの心に深く刻み込まれたひとときとなりました。

まり子師のお祈りの後、新聖歌145番「栄えに満ちたる」を賛美し、今月の季節の歌「赤トンボ」を歌って終わりました。その後、キッチンでランチの支度をしていたら、何と「赤トンボ」が入り込んできて皆ビックリ!いつもの通り、楽しく、にぎやかなランチタイムでした。

来月は、西岡牧師のアイディアで、皆で紅葉狩りに出かけ、どこかでランチしましょうという楽しい計画になりました。美しい自然を造られた神様の御業を味わうドライブが楽しみです。

12月は、市民クリスマスや教会のクリスマスなど本当のクリスマスに触れる時にしたいと思っています。

いつも通りの家庭集会は、119日(火)1030~です。


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# by kateishukai | 2015-10-28 23:03

9月の家庭集会の報告

 たくさん降った雨も一休みの爽やかな気候の中、今月は、8人で集会を始めることができました。司会者による開会のお祈りの後、Mさんの奏楽で、新聖歌18番「おお御神をほめまつれ」を賛美しました。

 きょうのまり子先生のメッセージは、「人間にある神のかたちシリーズ」です。他の動物と違って人間は神様に似せて作られていて、①喜怒哀楽の感情を持っている。②意思伝達の言葉や文字を用いることができる。③選択する意思を持っている。ということを学んできました。

 今回は、「人間は、永遠を思う存在」がテーマです。まり子先生が、きれいな声で小田和正の「たしかなこと」という歌を歌ってくださいました。「時を超えて君を愛せるか」という歌詞が印象的でした。うれしいことも悲しいことも心のひだの思い出をもっていることは、人間の豊かさです。最初の人間アダムの犯した罪は、神様との約束より、自分勝手な判断をしたことです。つまり、自分が神になってしまったことです。相手の立場に立つことができない自己中心の考え、これこそが人間の罪なのです。法的な罪ではなく、自己中心の罪です。

 「このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである。」ローマ人への手紙5:12

人間だけが死を恐れ、人間だけが永遠を求めるようになったのです。その人間に神様は、言われました。

 「罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。」ローマ人への手紙6:23

 「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛してくださった。それは、御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」

ヨハネ3:16

 つまり、身体は朽ちても、永遠のいのちがあるのです!救い主イエス様に感謝!

参考まり子師のプリントより

[旧約聖書の永遠]伝道の書3:11 申命記33:27 エレミヤ10:10

[新約聖書の永遠]ヨハネ3:16 4:14 5:39 6:68

        ローマ5:21 6:23 

 まり子先生のお祈りの後、新聖歌143番「いとも尊き」を賛美し、最後に季節の歌、今回は「小さい秋みつけた」前奏に秋の雰囲気が感じられました。

 にぎやかに、楽しく食事を共にし、来月を楽しみに閉会しました。

来月の家庭集会は、1020日(火)1030~です。


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# by kateishukai | 2015-09-21 21:59